『いだてん』第1回「夜明けの前」ネタバレあらすじ&感想|大河ドラマ

いだてん(第一回)あらすじ・感想をざっくり

第2回目以降の「金栗四三」中心の話に向けての時代背景や金栗四三がどんな人物であるかを視聴者に理解してもらう内容です。

話の展開は、古今亭志ん生が噺家として視聴者に話しかけながら展開。

内容は、昭和の東京オリンピック誘致のころに始まり、すぐに加納治五郎を中心とした、日本が初めてオリンピックに参加するkとになる明治時代にさかのぼります。

アジア初のオリンピックへの参加への葛藤と参加する選手の選考の過程が描かれています。

そして第一話の最後、マラソンの選考大会にて、彗星のごとく「金栗四三」が現れます。

今回の「いだてん」はW主人公と発表されていましたが、第一話には、本当に最後まで顔はでてきません。実質「加納治五郎による初オリンピック参加物語」です。

一般の視聴者にとって「金栗四三」とう人物はそれほどメジャーではないので、時代背景と加納治五郎によるプロローグ的な入り方はよかったと思います。

第二回以降は、「そんな金栗四三の生い立ち…」的に話は進むようです。

それでは、いだてん(第一回)のあらすじについて詳細を追っていきましょう。

東京オリンピック決定直前の昭和から物語は始まる

昭和34年(1959年)東京日本橋 東京オリンピック招致前。
道路工事現場の穴を颯爽と飛び越える一人の男。服装は陸上競技選手。

大渋滞の日本橋に1台のタクシー。車中には古今亭志ん生(ビートたけし)と娘の奈津子(小泉今日子)。そのタクシーの横を走り抜ける先ほどの陸上選手。

「今のおとっちゃん、タビで走っていたぞー。富久みていだな」
富久とは「火事が起きて、浅草から芝を走り回るたいこ持ちの噺」落語の演目。

その後、古今亭志ん生は、「富久」を噺してます。

話は変わって「外部省運動会」で北原さんが足を怪我してしまう。この一報を受けた東京都庁では慌ててます。東京オリンピック誘致の最終スピーチ2週間前であるにも関わらず全治3か月の怪我。日本オリンピック委員会の田畑政治は代役で提案された「平沢和重」をテレビで見る。

ミュンヘン オリンピック開催地選考会

「ジゴロー・カノウ」の最後を看取った男」と紹介され、平沢が壇上に上がりスピーチを始める。

スピーチの内容は、日本の小学6年の教科書内の「五輪の旗」という話を紹介します。最後に「五輪の紋章に表された第五の大陸『アジア』にオリンピックを導くべきではないか」と訴えかけます。開催地選考会の結果はデトロイトに対してトリプルスコアで東京かいさいが決定。

後半の主人公である田畑政治が喜ぶシーン。

ここでオープニング開始。


オリンピックの父「加納治五郎」登場

噺家古今亭志ん生の噺(話)で始まり内容は明治のころに…。

明治42年(1909年)一人の男が、車屋の清さんに乗せられてフランス大使館に向かいます。

その男は「加納治五郎」

フランス駐日大使ジェラールからの話はアジア諸国発のオリンピック参加を日本に要請する内容でした。この要請を受けた加納治五郎は乗り気でした。

帰り道、行きと同じように車屋清さんの人力車にのり、別れ際「君、早いなぁ。オリンピックに出るか?」と車をあとにします。


日本にオリンピック参加要請

東京高等師範学校にて。

奇遇にも次回オリンピック開催予定のスウェーデンに海外研修に行っていた永井道明教授にオリンピックについての話を聞くことが出来た。

しかし永井からは「日本がオリンピックなど10年、いや50年早い!」と一蹴されてしまいます。理由は「欧米人と比べ、日本人は体が出来ていない」「マラソンを見たが、走る意志のない選手を国の勝ち負けのために無理やり走らす醜さを見た」「未熟な日本人では死人がでる」。

加納治五郎は、文部省にも掛け合うが
「勝つ確証のないもには金は出さない」
「一部のエリートのみが競うものには意義を感じない」と断られてしまう。

スポーツを愛する「天狗倶楽部」登場

千駄ヶ谷の三島弥太郎邸。華やかな宴が催されています。

加納治五郎は早稲田大学総長の大隈重信とオリンピックについて話をしています。

また、横浜正金銀子 副頭取 三島弥太郎にオリンピック関連の融資のお願いもするが断られる。

その直後
「危ない!」
という女性の声とともに隣で野球をしていた天狗倶楽部の三島弥彦外野フライのボールを追っかけて突入してくる。

追っかけるように天狗倶楽部メンバーが次々乱入。大隈重信の紹介で加納治五郎がオリンピック参加を目論んでいることを伝えると、天狗倶楽部は共感し、加納治五郎を無理やり胴上げしてしまう。

加納は「スポーツの意味をはき違えている。飲んだくれのアンポンタンだ」と怪訝であった。


ついに加納治五郎はオリンピック委員に

日本には、オリンピック参加は時期尚早と思うようになった加納治五郎は、フランス大使館に出向き、オリンピック参加要請を事態しようとする。

フランス大使館についた加納治五郎は、次開催のストックフォルムオリンピックスタジアムの設計図とポスターを見せられる。そのポスターには日本の国旗も描かれていた。

それを見た加納治五郎は「オリンピックに参加する!」と大使に言ってしまう。

加納治五郎は、アジア初のIOC委員となる。

古今亭志ん生と富久と若者

昭和35年(1960年)東京日暮里

古今亭志ん生の家に二人の若者が訪れる。

目的は弟子になることで「富久きかせてください。面白かったら弟子になりたいです」と言う。

母の遺品の中に「古今亭志ん生の富久は最高」の絵葉書を見つけ駆けつけたとのこと。

日本のオリンピック参加はどうなる?

明治43年(1910年)。東京高等師範学校にて。

加納治五郎は、「オリンピック」「スポーツ」ついて日本体育会の加納と大激論を行う。加納は
「平和のための真剣勝負!相手を憎むのではなく、認めたうえで勝とうとする。相互理解である。それがオリンピックの精神!」
と説く。

加納治五郎は、新聞等の各メディア記者を集めスウェーデンオリンピックにむけての選抜大運動会開催の告知を行う。
会場は、
「景品電鉄が所有する広大な敷地『羽田運動場』」
「マラソンを募集することも宣言」
「海外派遣に関する費用は大体育協会が至便する」

オリンピック選考「大運動会」開催!そして「いだてん」現れる

明治44年11月19日(1911年)大運動会当日。

マラソン大会がスタートする。
途中雨が降り始める中、次々に伝令は入る。落語者が5人、8人、13人と増えてくる。

加納は不安になってくる。

そんな中一人の選手が戻ってくる。遠くに見えるその恰好は真っ赤なに血まみれ。

その選手はゼッケン51「金栗四三」だった。

記録は「2時間32分」。当時の世界記録は2時間59分なので27分も早い記録である。

足袋を脱ぎ去り疾走する金栗。ゴール後、加納治五郎に抱きかかえられる。

シェアする

フォローする

コメントの入力は終了しました。